非公開の航空券を入手してイスラエルからエジプトに渡った話(♯3 搭乗編【後編】)
前々回(#1 入手編)、イスラエルからエジプト行きの怪しげな航空券を入手し、前回(♯2 搭乗編【前編】)、カタールとヨルダンを経てイスラエルに入国したのだった。
購入したエア・シナイの航空券について、
- 案内表示板には航空会社名も行先もなく、ただ"4D"とだけ表示される
- 空港ではアナウンスが一切されない
- 搭乗ゲートは当然一番端
- そもそも機体が空港敷地の一番果てに駐機されている
- 機体は白一色
などという噂がまことしやかに囁かれているが、真実や如何に。
で、今回はようやく正体不明の飛行機に乗りピラミッドを見に行きます。(行けるのか?)
※この話は2016年9月頃時点の情報のため、状況が変わっている可能性があります。
いよいよ搭乗
テルアビブ中央駅
首都(と呼ぶかは微妙なのだが)の中央駅にもかかわらず、こじんまりとした駅だった。
空港は電車で約20分の便利な立地にある。最近エルサレムからも空港直行路線ができたらしい。
道中で見つけた落書き。左はイスラエルの、右はパレスチナの国旗。
「どっちも多くの人が死んでしまったんだよ」というメッセージかな?
ベングリオン国際空港に到着!
かつてはロッド空港と呼ばれ、1972年に日本赤軍が銃乱射事件を起こした。あさま山荘事件などへの批判で日本で活動しづらくなり、パレスチナに渡ったメンバーもいたらしい。
まともに案内もされないという話だし、時間やゲートをどうやって確認するか・・・
と思ったら普通に表示されてた!
チェックインカウンター
出てる!堂々と出てる!
ていうか「4D」って航空会社コードだったのね。
厚紙のちゃんとしたチケットに変わった。
その後だだっ広いロビーに並ばされて面談があった。旅程の他、鞄は自分で荷造りしたものか、イスラエル国内で誰かに会ったかなど一通り聞かれた。それからパスポートを全ページめくってイスラム教徒が多い国のスタンプがあるといつ何の目的で入国したのか一つ一つ聞かれたのがさすがという感じだ。
出国審査は別にあった。
ちなみにイスラエル入国歴が付くと他の中東諸国に入れなくなるということで敬遠されがちだが、実際にイスラエル入国歴がある者の自国への入国を拒否している国は、レバノン、イラク、サウジアラビア、クウェート、イエメン、スーダンといった日本人の民間人にとって行く機会がほぼない国ばかり。しかもイスラエルもそれを理解してかスタンプを廃止して、入国顔写真入りカードを作成して渡され、出国時に返却する形式になっているので入国歴が残らないようになっている。
(変わっている可能性があるので一応ご確認を!)
現に私はこの1年後にドバイやイランに問題なく入国できた。
面談と出国審査が一通り終わり、ほっとしたところ。
と思ったら保安検査があった。X線を通す前から鞄を開けさせられ全部引っ掻き回された。
今度こそ手続きは終了。ベングリオン国際空港で一番有名な通路に出た。壁に著名なユダヤ人の顔写真が並ぶ。
手前から2人目にアインシュタイン!
イスラエルのエル・アル航空機発見。日本ではお目にかかれない(かかれなかった)レアな機体。
今年あたりに東京-テルアビブ便就航ということだったが新型コロナ騒動でどうなったんだろう?
やはり奥の奥にあった搭乗口
搭乗!(ボーディングブリッジの隙間から)
真っ白な機体ではなくちゃんとエジプト航空の機体だった。
ちゃんと離陸した。
さようならイスラエル。
意外と乗客は多かった。他の人は一体どういうルートでチケットを入手しているんだろうか。
オレンジ色の帽子を被った人が多いなと思っていたら、南アフリカから来た巡礼ツアーの一団だと隣席の女性が教えてくれた。シスター誰々と名乗っていたのでキリスト教の聖地巡りらしい。
短いフライトなのでなくてもいいくらいなのだが、軽食が出た。
出してくれるのは嬉しいけどチーズバーガー2個って。(シスターが2個もいらないというので3個食べた。)
カイロ国際空港着。
フライト1時間、時差マイナス1時間なので出発時刻と到着時刻がほぼ同じ。これで大陸間を移動したんだから違和感がある。4か月前から情報収集やら何やらしてきたが、乗ってみるとあっけなかった。
とういことで、エア・シナイ便の実際の状況を整理すると下記の通り!
- 案内表示板に情報なし? → あった
- 空港でアナウンスなし? → 聞いてなかったがあったと思う
- 搭乗ゲートは一番端? → 端の方だがまあ珍しいことではない
- 機体が空港の果てに駐機? → ちゃんとボーディングブリッジで渡れた
- 機体は白一色? → エジプト航空の機体だった
ということで、基本的に普通の便として運航されていた。
エジプトに無事到着
そういえばピラミッドを見たいんだった!
バスで1時間以上かかり、カイロ市街に着いた。
いかつい建物が多くてびっくり。イギリスの統治を受けていたからか、ヴィクトリア様式らしい。目抜き通りのタラアト・ハルブ通り周辺は特にごてごてしている。
エジプト人はうz・・・いや人懐っこい人が多いので、歩いているととにかく現地の人に絡まれる絡まれる。タラアト・ハルブ通りは特にそれが多くて、ラウンドアバウトになっている小さな広場を一つ通り過ぎるのに20分くらいかかったり。
2回目からは宿から外出するのが憂鬱になる街だった。
やっと着いた、タフリール広場。
カイロの象徴で、アラブの春のときは大群衆に埋め尽くされた映像がニュースで流れた。本当は右にちょっと見えてる国旗を写すべきだったのにいい写真がなかった。
ナイル川!
長さ世界一だが、比較的河口に近いところなので幅もめちゃくちゃ広い。
スフィンクスに・・・
ギザの3大ピラミッド ! !!
近くにも行けたが全て1枚に収まったのはここからの写真しかなかった。
ちなみに場所はここ。今の子供は知らないであろう「トリビアの泉」で「スフィンクスが見ているものはケンタッキー」と紹介された店。ちゃんとあった。なんならピザハットまであった。
本当にスフィンクスの目線の真正面にあった。
旧市街にある有名なカフェEl Fishawy
水たばこを吸っている人が多い。あとアラブに来たらぜひミントティーとトルココーヒーを試してください。(トルココーヒーはスパイスがゴリゴリに効いているので好き嫌いが分かれるかも。)
旧市街のハーン・ハリーリ。
ピラミッドや博物館は欧米の観光客が多かったが、街中ではあまり見かけなかった。ツアーで観光スポットだけ巡るのもいいが、カイロは地元の人と濃密な交流をしつつ自分の足で歩いてほしい街だった。
それからこれを見ないと帰れない!旧市街で週3回ほどやっているスーフィズムの演舞。スカートを履いたおっさんが音楽とともにひたすら回り続ける。スーフィズムはイスラム教の 一派で、異端と見なされてきた。回転しながら神との一体化みたいなものを目指す神秘主義?らしい。
30分くらい回り続けた後、足元がふらつくこともなく退場していったのがすごい。
これで終了!カイロからまたドーハ経由で帰ってきました。
非公開の飛行機は乗ってしまえばあっけなかったが、なかなか行けない国に行けて貴重な体験だった。あ、でもヨルダンではペトラ遺跡に行ってないし、エルサレムは博物館とかいっぱい行きたかったし、エジプトはルクソールやアブシンベルにも行かないといけないし、またいつか行かなくては。
非公開の航空券を入手してイスラエルからエジプトに渡った話(♯2 搭乗編【前編】)
前回(#1 入手編)、イスラエルのテルアビブからエジプトのカイロに行くため、一般には非公開のエア・シナイの航空券を執念で入手した話をした。が、なんだか怪しいので不安とわくわくが収まらないのであった。
今回はいよいよ出発してからを書いていこう。暇なので。
だが搭乗までの部分を書きすぎて前編、後編に分けることになってしまった。なので「搭乗編」と言いつつ今回はまだ搭乗しない・・・
※この話は2016年9月頃時点の情報のため、状況が変わっている可能性があります。
出発
2016年9月9日
羽田空港からカタール航空で経由地ドーハへ。昼まで普通に仕事してたのに朝には砂漠のど真ん中にいるという不思議さが中東の夜行便の面白いところ。
カタール航空のこの毒々しい色が好き。
だがそれ以外で「ドーハ」の名前を聞いたことがあるだろうか。。。あまりないと思う。それもそのはず、「世界一退屈な街」と言われるくらい観光資源がない。
そういえばペルシャ湾では天然の真珠が取れるらしいが、大正時代に日本人が真珠の養殖技術を開発したことで産業として成り立たなくなってしまったとか。
カタール航空利用でトランジットの場合、無料(しかもビザ免除)のツアーに参加できる。(今もやってるかは調べてないので不明。カタール航空の公式サイトをご確認ください。)
迷ったが自力で街まで行くことにし、バスで一応観光地となっているスーク(アラブの市場。イランやインドやトルコで言うバザール)をぶらついて空港に戻ってきた。
今は空港から地下鉄ができたらしいが2016年当時はまだだったのでバスを利用。
ドーハからヨルダンへ。機材はロイヤルヨルダン航空。ロイヤルって付くのいいねぇ、ロイヤル!
ヨルダンは王国である。(ラーニア王妃が美人で有名。)イギリスの影響下の第一次世界大戦後、ハーシム家一族で分け合う形で今のサウジアラビア、ヨルダン、イラクに3つ王国ができたがサウジはサウード家に取られ、イラクも第二次世界大戦後イラク革命で王位が無くなった。ヨルダンは今も「ヨルダン・ハシミテ王国」として残っているわけである。
アンマン。まあどこを見ても坂だらけ、山だらけである。斜面にへばりついて出来た街と言ってよいかもしれない。
ローマ帝国時代の遺跡を発見!よく考えたら中東もローマ帝国の一部だったんだなあと実感。
イスラエルへ
翌日、エルサレムへ!
ヨルダン側国境までは、宿の前からタクシー乗車→アンマンのバスターミナルへ→国境行きのセルビス(ミニバス)乗車→1時間ほどで国境 という流れ。
道中は岩だらけだけどすごく雄大な景色。
ヨルダン出国後、専用バスに詰め込まれて緩衝地帯を通過した後、イスラエル側国境へ。
イスラエル側に着く直前にヨルダン川を渡る。橋はパレスチナでは「キングフセイン橋」、イスラエルでは「アレンビー橋」と呼ばれている。現在のものは中東戦争で壊された後に再建されたもので、日本のODAも投入されているらしい。
イスラエルは世界一入国が厳しいとか言われているが、日本人は比較的簡単だった。
ここからはシェルートと名を変えたミニバスに乗ってエルサレムに行くだけ。
で、約1時間でエルサレム着。
エルサレム旧市街
旧市街より西側にある新市街は綺麗。この辺は大体イスラエル建国時からの「ユダヤ人側の」地区。東に行くと「パレスチナ側」。(と言ってもイスラエルの勢力下にある。)
ヨルダンとの境にある死海。通常海水の塩分は約3%なのに対してここでは約30%。死海の中でも南の方がより濃いらしい。体が浮く。体に傷があると悶絶するので注意。
この辺は地上では世界一標高が低い。エルサレムで買ったペットボトルが若干凹んでた。とは言っても約-400m。エベレスト山頂が8,848mだと考えると大したことないかも。
ベツレヘム(パレスチナ自治区)へはエルサレムからバスですぐ。イスラエル側が作った分離壁とバンクシーの絵。
テルアビブに移動!
地中海沿いのリゾートみたいな街。場所によってはなんとなく重苦しい雰囲気のエルサレムから来ると開放感がすごい。
さて、テルアビブで1泊したらエア・シナイで最終目的地のエジプトへ。本当に乗れるのだろうか?そういえば今回の主目的だったピラミッドが見られるのか?というか日本にちゃんと帰れるのだろうか!?
#3 搭乗編【後編】へ
非公開の航空券を入手してイスラエルからエジプトに渡った話(♯1 入手編)
海外個人旅行者の間でその存在がまことしやかに囁かれる幻の航空会社があった。イスラエルのテルアビブとエジプトのカイロを結ぶ「エア・シナイ」である。
格安航空券サイトでいくら検索しても現れないどころか航空会社の公式サイトもなく入手方法一切不明のこの航空券を購入し、搭乗した記録を記したい。暇なので。
※この話は2016年9月頃時点の情報のため、状況が変わっている 可能性があります。
エジプトとイスラエルに行ってみたい
エジプトのピラミッドを見なければ死ねないと思い、2016年の夏休みに行くことにした。カタール航空でヨルダンのアンマンに入り、エジプトのカイロから帰る旅程を組んだが、間にどうしてもイスラエルを挟みたくなった。
しかしこの辺の地域に少しでも興味を持つ人なら周知の通り、アラブとイスラエルは基本的に敵対関係にある。つまり、そもそも国境を通過できない、通過できなくはないが危険、危険性が低くても交通手段が貧弱、といった可能性があるのだ。
で、調べた。
アンマン(ヨルダン)→エルサレム(イスラエル)は陸路で比較的簡単に可能。危険性は低く安価で安定した交通手段が存在し、予約も不要。ただしミニバスを複数乗り継ぎ、国境での手続きも時間がかかるため面倒。
イスラエル→カイロ(エジプト)はMazada Toursという会社がバスを運行している模様。ただし週3便ほどしかなく、政情不安定なガザ地区を迂回するため丸一日かかる。しかも調べるうちにシナイ半島はテロ組織が牛耳っているエリアがあり、外国人を狙ったテロが起こっているという情報があったので断念。外務省の海外安全ホームページでもこの辺だけ色が濃い。
さてどうしたものか。エル・アル航空もエジプト航空も直行便を飛ばしていないし・・・ いや待てよ? エア・シナイがあった。
エア・シナイとは
イスラエルと周辺のアラブ諸国は敵対関係にあり、4度の中東戦争を含めて幾度となく紛争を繰り返してきた。ただしエジプトはアメリカの仲介のもと1978年にイスラエルとキャンプデービッド合意を結び、国交を樹立した。
そんな中、両国間で定期便を相互に就航させることも決まり、イスラエルのエル・アル航空とエジプト航空がテルアビブとカイロ間を行き来することになった。なおエル・アル航空はその後廃止になり、エジプト航空は子会社のエア・シナイとして運航を今も続けているものの、イスラエルとの関係をあまり大っぴらにしたくないためか、他の航空会社のチケットのように普通に情報が公開されていないのが現状。
入手できるのか?
まずは最寄りのHISの店舗に行ってみた。すると発着地が両方日本国外の場合は海外発券扱いとなり、新宿本店の海外航空券スペシャリストデスクというところでしか対応できないとのことだった。
ということで後日、新宿本店へ。店頭ではアロハシャツにレイを掛けた店員さんがハワイフェアを大々的にやっていた。海外発券の相談と伝えると細長い店内の一番奥の奥にある、ハワイブースとは打って変わって薄暗いスペシャリストデスクに通された。
要件を伝えると、スペシャリストはすぐさま電話で問合せし始めた。今回は海外発券と言っても並みの海外発券とは違う。非公開の券である。「そんな航空券ないよ」と門前払いされることも想定のうちだったが、意外にも予約可能との回答が世界のどこかにいる敏腕エージェントから帰ってきた。
こんなにあっさり買えるとは!と拍子抜けしかけたが、航空券自体4万円ほどかかり、さらに手数料に3万円ほどかかるという。たった1時間のフライトで7万円はあまりに厳しい。航空券自体が高いのはどうしようもないとして、手数料3万は高い。
HISでの購入は最後の手段ということにして保留にした。
他にいい手はないか?帰宅してひたすらネットで検索を繰り返したところ、複数の英語の口コミサイトに共通するメールアドレス(airsinai_tlv@hotmail.com @は全角→半角)が登場することを発見。テルアビブの一角にあるエア・シナイのオフィスに通じるのだという。仮にも国際線を就航する航空会社のメールがhotmailということがあるだろうか?おそるおそる英語でメールを送ってみたところ、すぐに購入可能との返信が来た。航空会社から直接買うので手数料は不要。ただしクレジットカード未対応で、搭乗3日前までに現金を直接持ち込むか、銀行から送金する必要があるという。旅程の問題から3日前までにテルアビブに到着するのは無理。よって銀行から海外送金することにした。
送金できるのか?
いつも使っている銀行の新宿支店へ行ってみた。海外送金、というと2階の閑散としたブースに通された。いつもこんなところに連れて来られるな、とか、イスラエルに送金しようとしてる奴めちゃめちゃ怪しいな、とか思いつつ概要を伝えると、新人さんの勉強にさせてほしいということで数人に取り囲まれて詳しく聞かれた。
で、ここから送金は可能だが海外送金というのは世界のどのルートを経由するかが分からず、
・手数料も合計でいくらかかるか分からず、
・手数料を上乗せして振り込んでもらうがいくら乗せるかは送金者が決め、
・もし足りなくても不足分だけ追加というのは難しく、
・振り込んだ金額自体もどうなるか分からずおそらく世界のどこかに消失するが、
・目安は8,000円あれば足りると思うがその保証は誰もできない
というこの上なく心もとない内容だった。手数料8,000円でも高い上に足りなかった場合に困る。元の金がどこかに消えるって何だ、怖すぎ!
ここも保留ということにして、代替案を探ったところ、楽天銀行であればネットから約2,200円でいけることが分かった。これも必ず足りる確証はなかった気がするが、3年半も前なので正直詳しくは覚えていない。ただいろいろ詳しく読んだところ大丈夫そうだったので楽天銀行で送金。
入手成功!
数日後、航空券が送られてきた。
いろいろ試した結果として思いが天に、いやテルアビブのエア・シナイのオフィスにhotomailと世界のどこかの金融機関を経由して届き、メール本文にベタ打ちしただけの簡素な航空券に辿り着いたことに感動した。
↑↑↑航空券↑↑↑
しかし、こんなんで本当に乗れるのだろうか。
航空券購入は果たしたが再び不安に駆られたので、出発前にエジプトビザを取得することにした。
エジプトはアライバルビザが取れる(2016年時点)のだが、世界一警備が厳しいと言われるテルアビブのベン・グリオン国際空港で出国時にアラブ行きのチケット、それも今日日QRコードも付いていないペラペラの紙で怪しまれないか気がかりで、到着後の書類が少しでもしっかり揃っていることで信憑性が増すのではと思ったのである。
で、ビザ申請費用として約8,000円取られた。いろいろやり繰りしてもこういうところで結局金がかかるのね。
(エジプトエジプトした像が立ち並ぶ代官山のエジプト大使館)
ネットには「空港ではアナウンスが一切されない」「案内表示板には航空会社名も行先もなく、ただ"4D"という暗号のようなコードで表示される」「搭乗ゲートは当然一番端、というか機体が空港敷地の果ての目立たないところに駐機されている」「機体は白一色」などという情報が流布している。
でもなんか楽しみなのはなぜだろう?事前情報が怪しいとその分いつの間にかわくわくしてしまう、という気持ちが分かる方は変態旅行者の素質が十分にあるだろう。
♯2 搭乗編【前編】 へ続く。
海外旅行で余った現地通貨を数えた +特徴的な硬貨を探してみた
この前海外旅行で余った現地通貨を電子マネーに替えてくれる機械があったので、試しに今まで貯めた現地通貨がいくら分あるか計算してみた。
ついでに旧500円玉見つけた!
横に500って入ってるのが好きだったので懐かしい!
訪れた国36か国、全重量約2kg、日本円に換算して全部で8,592円(レートは4月4日時
点)。思ったよりは多かったかな。
ここで特徴のある、または個人的に好きな硬貨と紙幣を羅列!
5香港ドルの重厚感、2ドルの花びらみたいな形が好き。
パタカのジャンク船も良し。
イスラエル新シェケル。ユダヤ教のお祈りに使う燭台と、関係あるのかどうかわからない楽器。
イスラエルの紙幣は縦!今は横になったらしいけど。昔は杉原千畝の肖像画載ってたらしい。(写真は余ったものではなく現地で撮ったもの)
カナダドルにはエリザベス二世。
日本の5円玉は稲がデザインされているのが珍しいと思ってたけど、よく見たら韓国ウォンにもあった。
個性的な字体のチェココルネ、ハンガリーフォリント、ガザフスタンテンゲ。フォリントのお洒落な数字がいい。
EUに加盟してもユーロにならずに独自の通貨を維持してる国があるとなんかうれしくなる。でもユーロがなかった時代のヨーロッパ周遊旅行ってめんどくさかっただろうな。
ユーロは鋳造された国でそれぞれデザインが違うのが面白い。行ったことないスペインとイタリアとラトビアが混じってた。
ユーロ圏内でいろんな人の手を渡って別の国に移動した挙句に日本に持ち去られるとはこいつらも予想してなかっただろうな。
エジプトポンドは予想通りのデザイン。
アラブの金は全般的にデザインがいかつい。
カタールリヤルは爽やかな水色が美しい。あとディナール(アラビア語で金)とかディルハム(同じく銀)とかリヤルとか同じような名前が多く、補助通貨も複雑でややこしい。ちなみにリヤルはスペイン語で「王」(英語のroyalに相当)らしい。知らなかった。
イランリヤルはもはやペルシャ数字しか書いてないので訪問の際は事前に暗記かメモ必携。
ちなみにイランは約40年間の経済封鎖でインフレが続き、数字がとにかく大きい。2万円が約400万リヤルに。滞在中は札束をポケットに直にねじ込んで使っていた。
いいね!
インドルピー紙幣は特にボロボロなのが多く、受け取りを拒否されることもあった。何十ルピーか払うときに中に破れた紙幣を紛れ込ませるのが常套手段。社会全体でババ抜きしてるようなもの。
中国といえば「元」だが、補助通貨が2種類。1元=10角=100分。でも経済発展で価値が上昇したということだろうか、角や分なんてお釣りでもらっても使うことはほぼない。最後に行ったのが2015年だったけど、今は電子マネーが当たり前らしいからさらに使われなくなってるかも。
1分硬貨はやたら軽くてペラペラした感じがなんとも言えず好き。
元は"Yuan"なので日本円と同じ「¥」と表記されることが多く、たまにややこしい。航空券を検索して「やっす!・・・いや、たっか!!」となることがしばしば。
なんか見直しているうちに名残惜しくなってきたけど全部取っておくのも馬鹿らしいので換金しようかな・・・
と思ってたらほとんど対応してない!まあ冷静に考えたらそうか。それにレートも良いとはとても思えないな。
海外旅行で余った硬貨の両替
五反田にこんなのがあった!
海外から帰ってきて余ったお金を電子マネーに変えてくれるらしい。紙幣だけなら街中の両替所でもできるがこれは硬貨も可なのが画期的。
硬貨はどうしても自然に余るのと、記念に取っておきたいというのもあって今まで貯めてきたがそろそろ邪魔になってきたのでごっそり減らせないもんかなと思ってたので試してみてもいいかもしれない。1か国で持ち帰る硬貨の金額なんか大したことなさそうだが全部合わせると意外と結構な金額になってるかも。
ベクトル空間の公理 分配法則
ベクトル空間の公理の「分配法則」って
a,b がスカラー、X, Yがベクトルとして、
a ( X + Y ) = aX + bY の他に
( a + b ) x = aX + bX
も必要なんだろうか?
デザインもうちょっといじらないと。せめて背景色くらいは。